自分を批判する声
何かを始めようとするとき、わくわくしつつも
「自分にはできるかな?」「続けられるかな」「大変そうだな」
などいろいろな声が聞こえてくることがある。
「そんなことできるわけない」「前にも挑戦したけど失敗したから
今回も無理に決まってる」「また始まった」とか。
こういう自分の中のささやきというか、無意識に自分をいさめる声、
またはそれが自分のほんとうの声だと思っている人もいるかもしれない。
いわゆる「ネガティブ思考」という言い方もするかも。
なのでそれを「ポジティブ思考」にしていこう!という考えかた。
まったく間違っていない。
けれど、どーにもうまくいきません。
「それができてれば、苦労しないよ」と。
だけど、この声なんとかしたいよ
間違いなく自分の内から聞こえてくる声。
もしかすると「あ、これはあの時あの人に言われたことかも」
と原因がはっきりしていると対処も少しは楽かもしれない。
けれど、原因と結果!というようにはっきりしていることばかりではないし
A+B+C=Z
になってることもある。
様々な条件が重なっていることも。
「一生懸命やっていないじゃないか!」
なんて、実際に誰にも言われてないのにそう聞こえてくる。
ジュリア・キャメロンさんは著書
『いくつになっても「ずっとやりたかったことをやりなさい」で
その声の主を「内なる検閲官」と呼んでいる。
自分の夢をあきらめてしまうとき
大切なのは自分の内側から聞こえてくる声は
自分とは「別のもの」として扱うことかな、と思う。
なので「内なる検閲官」。
わくわくする楽しそうなことでも、
それがとてつもなく大きなものに
感じてしまったりすることはよくあるし
今さら挑戦して失敗したり、情けない思い
辛い思いをしたくなくて自分の夢や本当にやりたいことを
あきらめてしまうこともある。
でもその前に「内なる検閲官」を意識して
客観的にその声を扱うことをしてみるのだ。
いきなりの「ポジティブ思考」よりずっとステップは
小さく、取り組みやすい。
「内なる検閲官」に名前をつける
ジュリア・キャメロンさんは「内なる検閲官」に名前をつける
ことが楽しいということを発見したそうだ。
そして私も名前をつけてみようとこころみるも
なかなか難しい。
そして、その検閲官を消してしまうことはできないけれど
扱い方を工夫してみたり、縮小させることはできると書かれていた。
で、少し時間をかけてその検閲官を描いてみることに。
私の描いた検閲官は魔女のような
とても年を取った老賢者のようなアマビエのような
そんな小さな女性を描いた。
描いてみたらおかしくなってきて、笑ってしまった。
そしてうふふふと笑いがこみあげてきて
見えていなかった敵を見つけたような(ちょとドラマの見過ぎ?)
よくわからない優越感がでてきた。
出てきたそばから、それは批判し始めるのだけれど、、、。
ここから先は、ぜひご自分で経験してほしい
このエクササイズ(検閲官を意識してみる→名前をつけて見る→描いてみる)は
自分が本当にやりたいことしたいのにできない、
日々が楽しくない、
自分らしく生きたい
と思っている人、
過去にとらわれて前に進めない
日々不安で仕方がないとき
そんなときにもとても役に立つだろう。
1人で取り組むのが難しいときは、きっかけとして
みんなでやってみてもいいかもしれない。
いつかみんなでやりたいなぁ。
(検閲官の声が聞こえてきたよ笑)
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