先日、私が長年通っているSchool of Healing Arts and Scienceの
Yui先生のツイッターを読んでいて、どうしても書いておきたいので
自分のためにも。
そのツイッターは2014年2月25日の@Rev_Healer王由衣先生の
ツイートを見てほしいのだけれど、その中に
「その青写真をどういうふううに物質世界に形として削りだすかという
ことだけ」
という一文があった。
それが、どうにもこうにも自分の中にひっかかり渦をまく。
それについてずっと思いを寄せていてふと気が付いた。
「あ、自分は仮面ライダーガイムみたいだと思っていたのだ」と。
小さな子供は、ヒーローもののテレビをみて「変身」する。
うちの子も架空のベルトをつけ、ロックシードをはめ「Rock on!変身!」
と叫び、頭上の空間にジッパーで異空間が開き、仮面ライダーの
マスク?!が下りてきて自分に装着。仮面ライダーガイムになり、お化けと戦う。
(ちょっとわかりずらかったらすみません。ま、変身ベルトです。)
自分の中にも「こうでありたい、こうやって生きていきたい」という
ものがはっきりとでなくともおぼろげにもっている。
自分の生き方を現実にするためには、ロックシードを集めて
(これを付け替えるとちがう仮面ライダーになったり、グレードがあがったりする)
ベルトに付け替えると、自分の理想の生き方が空から降ってくると
思っていたのだ。
いつの間にか、自分の理想の生き方をするために
ロックシード(理想の自分になれるアイテム)を集めることだと思い、
いつの間にかそれが目的になってしまっていたのではないか?
それがあつまれば、自分は理想の自分になれる。
そのアイテムの1つにはお金もはいっていると思う。
それが実は、「削り出すもの」であるなら
まったく違う価値観になる。
自分の生きたい生き方をあれこれと試行錯誤しながら
直接削りだしていく。
少しずつ、少しずつ。
その作業そのものが、理想を生きているということなの
ではないか?
どんなにすごいアイテムを集めても
空から理想は降ってこない。
落ちてくるのはむなしい気持ちだけなのでは
ないだろうか。