クラスにでていて「わかる」とき、思うこと

私はSHASというところで色々と勉強をさせてもらっています。

2000年くらいから通っていて、ぼちぼち10年をこえたところ。

 

昨日もクリニックとクラスがあった。

 

話を聞いていて「あーなんかわかるかも」ということがある。

 

解剖のクラスなどのときは、体感で「わかる」という感じ。

体の感覚でわかる。

頭で「わかる」ときもある。論理的に理解した、というとき。

 

昨夜の話は「あーなるほど」と思うのが解剖のときの

「わかる」とは微妙に違う。

ハートの奥のほうに届くような、細胞1つ1つに届くような

そういった独特の感覚。

言葉で表すのは、今の私にはまだまだできない感覚。

 

そして河合隼雄先生の言葉を思い出す。

 

そしてそれを仮に「たましい」と置き換えてみると、、、

 

 

 

たましい

 

 

 

「たましい」で感じ、わかるよう。

「わかる」という完了している形でなく

「わかっている」いや「思い出している」という

感覚に近いかもしれない。

 

そして、まだまだ学びを続けたいと思う。

今日のクリニックもがんばろう。

 

 

なんだか河合隼雄先生の本を読み返したくなってきた。